花頂山は湯温海が生んだ江戸相撲の力士。花頂山は明治4年(1767)斎藤五左衛門(以前のあらたまや3代目)の長男として生まれた。幼名を五郎吉といい体格抜群、草相撲の王者だった。天明8年(1788)21才で初代出羽ノ海の門に入り2年後「温海嶽」の四股名で初土俵を踏み、入幕後は庄内藩主に召し抱えられ「花頂山」と命名した。享和2年(1802)には大関に昇進し「市ノ上」と命名。しかしこの年、巡業中の京都で病に倒れ35才の若さで世を去りました。
 彼の偉業として、大相撲史上未曾有の最強力士とまでいわれる雷電為右衛門は同じ力士に2度敗れないというジンクスを破ったことや、横綱小野川に勝利したことなどが語り継がれている。
 これにあやかり、湯温海の地では大正の初め頃に女相撲が創られ、鉄道の開通式や諸記念行事では土俵入りなどをして伝えられたが後継者がなく絶えてしまいました。