元禄2年(1689)春、門人曽良を連れて奥の細道の旅に出た俳聖松尾芭蕉は、6月半ば象潟から酒田を経て26日に温海に一泊、27日27日鼠ヶ関を通って越後に去った。曽良によれば温海では鈴木所左衛門宅に泊まったとあるが、所左衛門とは曽良の聞き違いで本当は惣左衛門と称す温海の旧家であったという。芭蕉は翌日曽良と別れて馬車に乗り温海を発ち、弁天島を右手に鼠ヶ関を通過し、一方曽良はここ湯温海を訪ねてから芭蕉の後を追ったのである。曽良は次のように記している。
 「二十七日、雨止温海立、翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関ヘ被趣、予ハ湯本ヘ立寄見物シテ行。半道計山ノ奥也。今日モ折々小雨ス。及レ暮中村ニ宿ス。」